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親に尽くせば、いつか認めてもらえると思っていた

家の整理をしていたら、4年前の紙の手帳が出てきた。
懐かしくなって中を開いてみると、日々の出来事が簡単なメモで記されていた。

・食べることが好きな両親に、毎月のように食べ物を宅配で送っている
・「できるだけ親孝行したい」と頻繁に書かれている
・頼まれてもいないのに、地域包括支援センターに問い合わせて、「離れて暮らす親のために今からできること」を聞いている

あぁ、私、頑張っていたな。
認めてもらいたくて、愛してもらいたくて、必死に尽くしていたんだな。
そのときの自分を、思わず抱きしめたくなった。

両親も、感謝はしてくれていたと思う。
でも、私を“まるごと”受け止めてくれることはなかった。
「そのままでいいんだよ」と、安心させてくれる言葉は、一度もなかった。

いつ、どこにあるかわからない「不機嫌の地雷」を踏まないように、細心の注意を払っていた。
顔色を窺い、緊張し、失敗し、否定され、傷つきながら──
それでも、傷ついたことを“なかったこと”にして生きてきた。

両親が些細なことでイライラし、誰かに不機嫌をまき散らさずにはいられないのは、彼ら自身の問題だ。
彼らが持つ「大人としてのふるまいとは言えない性質」の結果は、彼ら自身が引き受けるべきだった。

私はずっと、八つ当たりされる側だった。
そしてそれを“普通”だと思い込んで、自分の家族にも同じように振る舞ってしまった。

そんな日々を思い出すと、絶望的な気持ちになって、消えてしまいたくなることもある。

それでも、なんとか、なんとか、
ここから「穏やかな日々」を手に入れたい。

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