「誘われなかった」とき、「いや、むしろ誘われたくないし」「一人のほうが気楽だし」って、わざと強く構えてきた。
でもそれは、私が自分を守るためにまとっていた“鎧”だった。
ずいぶんとがんばってたんだな、と思う。
強がっていたのは「平気なふり」をしたかったから
イベントの話題が進んでいて、自分の名前が出てこなかったとき。
何でもないふりをして、心の中で「気にしない」と何度も言い聞かせた。
でもほんとうは、ちょっとだけ、いや…結構さびしかったんだと思う。
その気持ちを無視していたのは、私自身だった。
鎧の下にいた小さな私
カウンセリングを受けたり、心理学の本を読んだりする中で、私は気づいた。
あの“鎧”は、私が長年ずっと身にまとっていたものだった。
その下には、不安で震えていた、小さな私がいた。
その存在を見つけたとき、私は心の底から思った。
ああ、気づけてよかった。
私の回復は、たぶんこの「本当の私」を理解し、そっと労わるところから始まるんだと思う。
場におけるマジョリティとマイノリティ
誘う側は、輪の“中”にいるマジョリティ。
誘われる側は、“外側”にいるマイノリティ。
企画する側にとっては、ただの人数調整かもしれない。
でも誘われる側にとっては、「自分がそこに存在していいか」を問われているように感じる。
私はずっと、「行きたくはないけど、誘われたい」という
矛盾する気持ちを抱えたまま、傷ついていた。
本当の気持ちを認める
カウンセリングの中で、「こんなことで傷つくなんて」と
何度も自分を責めていた。
でも言ってもらった。
「それだけ、誰かとつながりたかったんですね」
そう言われたとき、私は少し泣きそうになった。
そして、ちゃんと納得できた。
私はもう、自分を否定しすぎない
今も、「誘われなかった」ことで揺れる日がある。
でも、そんな自分も「ダメなやつ」なんかじゃない。
強がる必要なんてない。
ただ、少し傷つきやすいだけ。
少しつながりに飢えていただけ。
それって、そんなに悪いことじゃないよね。
私は、「誘われなかった」という出来事に、人生の全てを否定されたように感じていた。
でも、もう大丈夫。
私は私の味方で、私自身に全幅の信頼を寄せているから。